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スタッフ達によるブログを載せていきます。
うがみんしょーらん!
奄美大島のホテル『ネイティブシー奄美』・ブログ担当の伊勢です。
倉崎海岸癒やしのアダンオンザビーチからお便りです。
【奄美は今、製糖シーズン!】
奄美大島では、各地でサトウキビの収穫が行われています。
昨日、アダンオンザビーチの前のサトウキビ畑でも刈り取り作業が行われていましたよ。
刈り取られたサトウキビは、ネットにつめられ、製糖工場へ送られます。
【奄美のサトウキビが明治維新の原動力になった!】
ここで奄美のサトウキビに関するウンチクをご紹介します。
知ってたらハナタカ☆彡
奄美は大和文化と琉球文化が入り交じる独特の文化圏を形成しています。
奄美で三線など沖縄っぽい文化が見られるのは、昔々琉球王国の支配下にあった名残です。
1609年、奄美は薩摩藩の支配下に入り、琉球からの切り離しが行われます。
大和文化の影響を受けるようになって400年以上。
奄美が沖縄と似ているようで明らかに違うのはそのためです。
それで、ここからが本題なのですが、
江戸時代、薩摩藩の財政は逼迫していました。
財政建て直しのために手段が、
当時薩摩藩の支配下にあった琉球王国を経由しての貿易と、
奄美の砂糖だったわけです。
これらによって財政を立て直した薩摩藩は、近代化への投資ができ、
幕末・明治維新と突き進むことができたというのです。
琉球の貿易の話は教科書にも載っているくらい有名ですが、
奄美の砂糖の話はあまり有名じゃありません。ですから、ぜひ知ってほしいのです。
当時の薩摩藩の歳入の8割くらいは奄美の砂糖だったとか。
実は琉球貿易の利益はそれほどでもなくて、奄美の砂糖が重要な役割を果たしていたらしいのです。
最初は黒砂糖が作られていましたが、そのうち高値で売れる白砂糖が作られるようになります。
奄美の各地に「白糖工場跡」があるのはそのためです。
まさに日本の近代化は奄美の砂糖のおかげであると言えますね。
ところで、薩摩があまりにもサトウキビを作らせすぎたこともあって、
奄美では稲作はほとんど見られません。今も昔も農業はサトウキビが中心です。
サトウキビばかりで作っていて、米など主食となるものが作れなかったため、昔の奄美は常に食糧不足。
ソテツを毒抜きして食べていたという話は、『ブラタモリ』でも紹介されていましたね。
いわゆる「ソテツ地獄」ですが、奄美では昭和30年代までそういう状況だったそうです。
沖縄よりずっと過酷だったわけですよ。
現代日本の礎には、昔の奄美の人々が流した血と汗があると言えます。
そう考えると、サトウキビ畑の景色も見え方が違ってきます。
奄美の砂糖については、
大江修造著『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』に詳しく書いてありますので、ぜひ読んでみてください。
明日の奄美の天気は雨。
気温は19℃の予報です。
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